| 心の師とはなれ、心を師とはせざれ |
5年ほど前に、島根県松江市の小泉八雲記念館に行ったときに、写真の美しさに引かれ買った「面影の日本」(小泉八雲 写真:ジョニー・ハイマス)。本箱の隅に眠っていたのですが、2月のはじめ、部屋の模様替えの際、目が合い、久し振りにペラペラと捲っていました。 その中に表題の言葉がありました。調べてみると、茶の湯の開祖といわれる、村田珠光の言葉だそうです。 ◆ 「欲望に支配されるな」という意味かなとも思いますが、その時は、ふと別のことを考えていました。「心を師とはせざれ」とは、「心(自我)に従ってはいけない」と言っているのではないか。言い換えれば、自分というものはそれほど大したものではないんだと言っているのではないかと。自分の中で違和感を感じます。「自分の心に従うことは当然ではないか・・と」 ◆ 西洋文化の影響かもしれませんが、それぞれの人間が個性をもちそれを主張をすることは、正しいと信じられています。自己主張もできない奴はダメだ、日本人は、外国人に対しろくに自己主張をしないからだめとも言われます。 ◆ その影響か、みんな自分探しに懸命です。「心に正直に生きろ、心の赴くままに、自分にごほうび、自分らしさ、自分にしかできないこと」まるでそれが人生の目的のようにみんな何とか自分らしさというものを見つけようと一生懸命です。自分探しの旅に出る人もいるぐらいです。でも探しているものが、けっして綺麗なものでもなく、ドロドロしているとすれば、従ってはいけない程度のものだとすれば、そんなものを探すのに一生懸命にならなくてもいいのではないでしょうか。 ◆ そんなものを探す暇があるのなら、一生懸命働いて、たまには人に感謝され、嬉しい気分になって、バー・ティファナで、ロイヤル・ロッホナガーを一杯飲む。こんな平凡な自分が平凡な日常の繰り返していることも、それはそれでいいじゃないか。こう思ったとき、自分の中の嫌な部分が少し遠くになった気がしました。 |